ニッポンの黒豆の
ルーツを味わう。
history.
地域と神戸大学篠山フィールドステーションが協働でつくった、本気の逸品。
Farmer
いまや全国に広まっている「丹波の黒豆」。そのルーツは、ここ篠山市日置地区(旧日置村)にある。
地元農家が、大切に、たいせつに作り紡いできた黒豆。
江戸末期にこの地域の農家波部六兵衛(はべろくべえ)が黒大豆の良種を精選し、村人たちに配った。その息子本次郎が意志を受け継ぎ、より大粒のものを選び出し、原種としたのが、現在の丹波黒大豆の元となる「波部黒」だ。
この地域では、その後継となる黒豆をいまもつくり続けている。
University
「黒豆の納豆をつくろう」
地域課題を住民と一緒になって解決することを目的とした研究機関、
地元農家から相談を受け、当時の研究員が発案したのが「納豆」。
大学との共同開発はこの一言から
はじまった。
栄養豊富な黒豆を、調理せずに
食べやすくしたい。
そんな想いもつまっている。
SCRCS
商品開発にあたっては、
「篠山市地域おこし協力隊」(Sasayama Community-Reactivating Cooperator Squad)が製品化に向けて協働した。
納豆加工への協力企業をさがしたり、パッケージデザインの構想、販売促進のために大阪や京都、東京の販売イベントに出店したり、恒常的に販売してくださるお店を見つけたり。
現在では高速道路のサービスエリア(西紀SA上り)でも販売されている。
about US.
「最高の黒豆で、最高の納豆を。」
兵庫北部篠山盆地は、昼夜の寒暖差が大きく、そして土が格別に豊か。
この地域で、黒豆づくりが続いてきたのは、先人たちの努力と、そもそも篠山が黒豆に適した土地だったからだと思います。
この味と豆を次世代に引き継ぐべく、黒豆の新しい商品を生み出しました。
土づくりから、栽培管理、豆の選別まで、皆で丁寧に取り組んでいます。
同じ野菜の苗でも、土地で味が違うといいますから、ぜひ、本物の丹波篠山の黒豆を味わっていただきたいと思います。
代表 森口 久
KOBEKURO コベクロ丹波黒納豆
兵庫県篠山市日置地区産の丹波黒大豆を100%使用。
ハネ豆や2級品ではなく、黒豆単体としても1級品の豆のみを使っています。
納豆加工は大手百貨店取扱い商品である「紫竹納豆」シリーズで有名な、京都の老舗納豆専門メーカーである(株)森口加工食品が担当。
最高の豆と、最高の技術でつくられた、自信をもってお届けできる黒納豆です。
伝統的な「藁(わら)つと」と「水引」からインスパイアされたデザインに仕上げ、お手土産としてもオススメです。
付属のタレでそのままお召し上がりいただけますが、塩や山椒醤油とともにお酒の肴にも最適。
神戸大学篠山フィールドステーションとの共同開発商品です。
Link future,
beans ambitious.
ほんまもんの意志は、受け継がれる。
現在の丹波黒大豆の歴史は、天保2年(1831年)篠山藩日置村の大庄屋波部(はべ)六兵衛が黒大豆の良種を精選し、これを村人に配ったことから始まる。すでに江戸でも評判になっており、篠山藩の将軍への献上品として、山椒や塩松茸と並んで黒大豆が記載されているほどだった(『天保武鑑』)。
しかし、明治維新後、黒大豆の献上が廃止され、それに伴って耕作も減少の危機。それを救ったのが、息子の本次郎であった。彼は父の意志を受け継ぎ、明治4年(1871年)に上質の黒大豆の中からさらに大粒のものを選びだした。これを基となる原種として、日置村で良種のものに育てあげ「波部黒(はべぐろ)」と命名した。これは幕府献上品よりも優れた黒大豆だと評判になり、のちに兵庫県だけでなく北海道をはじめ全国の農業試験場、農学校、全国各地の農家からも種子配布の依頼が舞い込むようになる。そして京都をはじめ全国各地から「波部黒」を求める商人が訪れ、大変な需要があったという。
ただしこれほど「波部黒」が評判になったことには、種子だけでなく、土地の特殊性があった。
波部黒が育てられた日置村は、弥十郎ケ嶽から流れる辻川や曽地川が篠山川に合流する地点であり、山からミネラル分を多く含んだ地下水がたっぷりと蓄えられている。川を一本越えるだけで、この特徴は弱まるという。
時代はくだり、昭和62年(1987年)、兵庫県立農林水産技術総合センターの北部農業技術センター曳野亥三氏により、「波部黒」の中から大粒・高品質・つぶ揃いのものが選抜され「兵系黒3号」という品種が誕生する。この品種開発には実に10年の月日が費やされた。
現在、兵庫県産丹波黒における優良系統として「波部黒」の遺伝子が受け継がれた「兵系黒3号」が位置付けられている(参考:兵庫県丹波黒振興協議会編『丹波黒大豆物語』)。
丹波黒大豆は、一般的な大豆と比べると、まるで木の枝のような太い幹をもつ。しかし、背が高く、分枝の量が大きいため、強風で倒れたり折れやすい。ウイルスにも弱く、花が多く咲いても、実なりやすさを示す結実率も高いとは言えない(1株で500の花が咲いたあと、サヤが付くのは80〜120程度)。このように様々な理由から、一般的な大豆に比べると、栽培がむずかしい上に収穫量も少ない。篠山の農家、日置の住民たちはそれでもこの豆をつくり、守りつづけている。